八雲神社

社  史

風土記稿』久喜町の項では、牛頭天王社と称し、同寺の境内社として扱われている。また、天王院については、甲斐国八代郡中山広厳院の末寺で普応山と号し、開山の妙鑑は大永3年(1523)に没したという旨が記されている。恐らく当社はこの天王院の開山と相前後して勧請されたものであろう。神仏分離の後は、社格は無格社であったが、天王院の管理を離れて独立し、明治六年に社号を八雲神社と改めた。

ご祭神

アクセス

久喜市本町1-2-60
YAHOO地図より


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Memo

夏祭りは、天明3年(1783)の浅間山の噴火で作物が全滅した際、愛宕社の山車を借りて町内を曳き回し、豊作を祈願したことに始 まるものである。この祭りは、昔から「天王様」の通称があったが、 夜になると山車の周囲に付けた400個以上の提灯に灯がともされることから、近年では「提灯祭り」と呼ばれるようになり、久喜市内でも最も盛大かつ勇壮な行事となっている。
祭りに当たっては、まず11日に準備を整えて神輿をお仮屋に安置し、12日にはその前で御例祭の祭典を行う。この時は、各町内の山 車七台がお仮屋の両側に並び、山車に関係する人は全員が参列する。 祭典が終わると、山車の曳き回しが始まり、12日の午後7時─8時ごろになると「連動」と称して山車の勢揃いがある。翌13日から17日までは当番が神輿の警護をし、18日には12日と同様に神幸祭の祭典及び山車の曳き回しと「連動」が行われ、祭りを締め括る。

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