太田神社

社  史

野久喜の鎮守として祀られてきたのが、火雷神を祭神とする雷電社であり、明治初年には同じ村内にあった大己貴命を祭神とする千勝社を合併し、雷電千勝社となった。当社の本殿が二間社流造りとなっているのはそのためである。
明治6年には村社となったが、政府の合祀政策に従い、明治40年に稲荷社、香取社、青瀧社の無格社三社、稲荷社、白山社、女体社、浅間社、浅間社、神明社の無格社六社及び女体社の計10社を合祀した。
この合祀によって、当社は社号 雷電千勝社を太田神社と改めた。その社名は、明治22年の町村合併で古久喜・野久喜・青毛・栗原・吉羽・西の6か村が合併して太田村と称していたことに由来し、当時の村長が命名した。

ご祭神
火雷神
大己貴命

アクセス

久喜市北1-6-29
YAHOO地図より


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Photo

1の鳥居2の鳥居手水鉢
清瀧大権現白山社

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