天文5年(1536)一色氏の「居城であった幸手城が上杉朝定の攻撃を受け落城し、城主の直俊は討死した。直俊の夫人吉野の前と乳母の安の戸ともに落ち延びたが、この地の蕎麦畑の中で命を落とした。また、安の戸も吉野の前を追って自刃した。ところがその後、この地の子供が相次いで病気となった。そこで、これを非業の死を遂げた2女の祟りと感じた村人が、その霊を慰めるために社を建立したのが当社の始まりで、蕎麦畑で落命した吉野の前を祀ることから蕎麦嶽大明神と名付けられた。その後明治6年に村社となり、同39年から45年にかけて青竜社・厳島社・八幡社・天神社を合祀し、大正12年に現在の吉野神社と社号を改めた。
幸手市吉野230
YAHOO地図より
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