創建の時期については不明だが、口碑によれば、江戸初期の名主、関根家では金山大神を鎮守としていた、当時村では上下の対抗意識が強く、関根家は下に居を構えていた。安永年間以前に、名主が関根家から上の折原家に替わるや、上では金山社を鎮守として祀るのを嫌い、新たに京都伏見より稲荷を勧請した。そこへ下の金山神社を合祀したという。
宮代町金原43YAHOO地図より
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