明治8年の火災により記録がすべて灰燼に帰してしまい由諸について詳しいことはわからない。言い伝えによると当社は欽明天皇の御代に土師氏が出雲国から岩槻の地に久伊豆明神を勧請し、社殿を建立したことに始まるという。明治6年に社格制定に伴って岩槻・太田両町の村社となった。しかし明治8年1月11日不審火により本殿・拝殿のみならず末社に至るまでことごとく焼失するという憂き目に遭った。しかも、本殿が再建されたのは明治15年、拝殿と神楽殿に至っては大正4年のことである。大正25年には郷社に昇格し、昭和20年10月19日県社に昇格した
さいたま市岩槻区宮町2-6-55
YAHOO地図より
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