当社は「風土記稿」には見えず、江戸期の様子は明らかではないが、古くから木曾良村の鎮守として崇敬されていた模様で、明治5年に村社となっている。もとは今より北東の1段高いところに境内地があり、欅・杉・檜などの大木が立ち並んでいたが、昭和50年に東急団地の造成のために移転を余儀なくされ、代替地として現在地となった。
さいたま市岩槻区府内2-2-36YAHOO地図より
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