当社が、岩槻城に祀られたのは元和9年(1623)のことで、時の城主 阿部正次が戦が始まった時の備えに軍神として信濃国諏訪上社を勧請したことによる。以後城主の崇敬が厚く家臣一同の武術鍛錬の祈願所でもあった。このように、当社は岩槻城と深いかかわりがあったため、明治になり岩槻城が廃城となってから、しばらく放置状態が続き、社殿も荒廃し、祭りも途絶えていたが地元の有志が浄財をあつめ明治11年に祭事を復活させ明治25年には覆屋を茅葺きから瓦葺きに改めた。こうして、当社は地元の神社として新旧住民から広く親しまれるようになった。
さいたま市岩槻区太田1-10-61
YAHOO地図より
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