創建年代不詳。寛永年間松平直政公入国の際、この地の椎森稲荷大名神に住吉の三神を祀り、松江藩御 舩屋の鎮守社とし海上安全船舶の守護神として崇敬された。
昭和6年の末次大火は社殿の悉くを焼失し、昭和36年に再建して今日に至る。
この御船屋の地は藩の海上輸送の中核地で、御船奉行御役屋舗があり、今日の船員にあたる御水主とともに名力士雷電を始め藩のお抱え力士が居住する地でもあった。
倉稲魂命
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鳥居 | こまいぬ | |
神額 | 祠 | |
巖神社 | 巖神社由緒 | |
当社は元常陸國某長者の鎮守社でありましたが、いつの時代か御霊代を松江港海岸に移したといわれています。 その後、元漁師町の三人が同時に霊夢をみて驚き、新たに神祠を建立しました。爾来、松江藩士を始め衆庶の信仰するところとなりました。 明治年間には三島由太郎等が元漁師町の鎮守として境内社殿等を拡めましたが、昭和6年5月の末次大火によりその社殿を焼失し、翌年区画整理によって東本町5丁目本通り北側に社地を定め、社殿を再建しました。 また昭和56年12月には社殿・石室 を改修しましたが、この巖神社の管理が船玉稲荷神社に移されたことから、このたび(平成16年8月2日)、この地に遷座・鎮座しました。 |
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