青梅神社

社 史

当社縁起によると、祭神菅原道真公が左大臣藤原時平一派の陰謀によって大宰府に左遷されたとき楊枝の先に梅の実をさし、それぞれ一個ずつ東西南北に投げた。最初に投げたのが出雲国にとび花久理梅となり、つぎは南方讃岐国へとび花さく梅となり、西は筑前大宰府の飛梅、東は上野館林へとび青梅天神となったという。日本四社の内東方の一社である。
鎮座年記は赤井山城守城主(1471年~1562年頃)とされ「館林代々城主聞書」には「谷越町(現在地)天神の宮は追手(大手)の外の南方に有之候処文禄4乙未年今の所へ移す」とあり、西暦1595年(文禄 4年)以前は三角公園の南西付近にあったものを榊原康政城主時代に、城拡張工事のため移転したものと伝えられる。

ご祭神

菅原道真公
素戔嗚命
猿田彦神

アクセス

館林市本町2丁目8番22号
YAHOO地図より


スポンサード リンク

Photo

鳥居手水鉢絵馬掛け
こまいぬ庚申塔
絵馬殿絵馬殿にある絵石碑
頭貫本殿

道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net