窮民救済の碑(有形文化財)

平成6年3月30日指定

この石碑は、天保9年(1838)1月に観音堂敷地内に稲垣宗輔らが建立した碑である。稲垣宗輔は、浅草福富町の豪商稲垣氏、池田屋市兵衛方に婿養子に入った、瓦曾根村名主中村彦左衛門重梁の次男である。この日を要約すると、名主中村彦左衛門は、凶年手当用として御貸付所(幕府の銀行)に預金をしていたが、天明年間の凶作年に御貸付金の元利金を下ろして窮民に与え飢餓より救った。重梁は、その子らにも凶年手当金を備えておくよう遺言して没したが、稲垣宗輔はこれを受け、文政9年(1826)浅草猿屋町会所御貸付所に百両を預金し、天保7年(1836)の大凶作にそこから92両をおろし、瓦曾根村の窮民92名に1両づつ施金してこれを救った。銘文と歌は、恩間村の国学者渡辺荒陽によるものである。

場 所

スポンサード リンク


Photo

道楽の部屋について
2008 © umacamelife.net